歴史


王国の歴史

観光地として開発される前のワイキキエリアは、ハワイ王国の王様とチーフ達の住宅や余暇を過ごす場所として好まれていました。カメハメハ1世は、現在ロイヤルハワイアンが建つこの場所に邸宅を構えており、王妃カアフマヌのサマーパレスがあったのが現在当リゾートのココナッツグローブがある場所です。

ワイキキに外国からの訪問客が訪れるようになったのは1830年代のことで、1860年代には道路が建築されました。訪問客の増加を見越して、当リゾートの姉妹リゾートであるモアナ・ホテルを1901年に開業。

同じ時期、1907年には州政府が「ワイキキ リクラメーション コミッション」と呼ばれる組織の下で、さらに大規模な商業および旅行業の開発を計画し、道路の拡張や橋の建築が進められ、鴨池や水田、タロイモ畑の水を抜いてワイキキの養殖場も造成されました。開発は第1次大戦後に加速。

チャールストンと禁酒法の時代、ハワイ行きの移動手段としてあったのはマトソン社の蒸気船で、外国への豪華な冒険旅行にお金を払うことのできる裕福な人々にとって、この船での移動は地味で魅力のないものでした。そしてハワイは、はるか遠くにあるエキゾチックな旅先である南太平洋と東洋への玄関口として知られるようになります。

1927年2月1日、マトソン航行会社が4百万ドルを投資し、「ビッグファイブ」と呼ばれたCastle and Cookeとマトソン航行会社のトップ、エド・テニーと、マトソン社のマネージャー、ウィリアム・ロスの主導によってロイヤルハワイアンホテルが開業しました。ロイヤルハワイアンは、マトソンの乗客向けの豪華リゾートとして建てられました。

ホテルのスタッフは、初代総支配人であるアーサー・ベナグリア以下、「カタヤン」のユニフォームに身を包んだエレベーターのオペレーターやロビーボーイを含め300名で構成。グランドオープニング時のブラックタイのガラパーティでは、ホノルルシンフォニーが1,200名を超えるゲストのために演奏を披露しました。『ホノルル・スター・ブレティン』紙はこの新規開業ホテルを「アメリカ初のリゾートホテル」と書いています。

美しいビーチに面した約6ヘクタールの敷地に、独特のムーア建築をピンク色で塗装した建物は、世界有数のラグジュアリーホテルとして旅行者の注目を集めるようになりました。入念に準備された開業式典と祝賀の催しにはディナー、ダンス、コンサート、ショーなどが催されました。

この恵まれた時代にも、1941年12月7日、日本国の戦闘機がワイキキビーチ上空を通過して、パールハーバーに停泊中の米国の軍艦に向かったあの瞬間、突如終わりが訪れます。リゾートホテルであったロイヤルハワイアンは、兵士たちの保養及びリクリエーションの場として海軍に開放されました。戦前のエレガントなリゾートの姿を取り戻したのは、1947年のことでした。

1950年代には、利用しやすい料金のホテルがワイキキエリアに新たに多数建設され、マトソン社もサーフライダーやプリンセス カイウラニを建設。米国本土からハワイへ、より大型で速い旅客機の運行で飛行時間が短縮されるようになり、片道4日半かかるマトソンの船に乗ってハワイへバケーションに行きたいという人の数は、ますます減っていきました。1955年時点で、ハワイを訪れた旅行者の半数がマトソンの4軒のホテルに滞在していますが、船で訪れる人の数はそのうちのわずか5分の1になっていました。

1959年までには航空機での所要時間はさらに短縮し、蒸気船のビジネスはさらに競争力を失っていきます。同年、ホテル業32年目にして、マトソンは初期に建築したホテル (モアナ、ロイヤル、サーフライダー、プリンセス カウラニ) をシェラトンホテルチェーンに1千760万ドルで売却。

2015年には、マトソン創業頃の壮麗な輝きを再現し、同時に現代の旅行者から求められる便利さと快適さを備えた現在の17階建てのマイラニタワーをオープンしました。

現在、ロイヤルハワイアンとその従業員は、「太平洋に浮かぶピンクの城」の豊かな伝統と感動、比類なき個性を変えることなくお客様にお届けしています。

階下ロビー

ロイヤルハワイアンの歴史ツアー

毎週開催されている歴史ツアーで、「太平洋に浮かぶピンクの城」の深い歴史と、魅力的な当時の話を聞くことができます。ツアーに参加するには、毎週火曜日または木曜日の午後1時に、ココナッツラナイにある「Royal Hawaiian Bakery」に集合してください。

back to top